空籠〜カラノカゴ・ソラノカゴ〜
普通は「春だから、桜が咲く」んだろうな。 でも私はその逆で、 「桜が咲いたから、春が来た」 単純だけど、私はそうやって春を知るのだ。 深い山の緑の中に、目に鮮やかな淡紅色。 窓ワクに切り取られたこの景色の中では、その対比以上のものは望めない。 だから今もこうして、格子の向こうにその色が現れるのを待っている。 ――私はその花びら一枚一枚を手にとることも、     吹雪に形容される散桜の中に身を置くこともできない籠の鳥。 私は長い間ずっと、他人よりひどく間接的に桜の花が好きだった。 菊千代が消えてからもう幾月かわからない。 父の捜索は難航しているらしく、リスより見つけやすそうな犯人たちの 消息すら未だつかめていないようだ。 私の方はと言うと、結局あのあとすぐに部屋にあった凶器になりそうな物は回収され、 格子は修復され、警備は強化され、菊千代のためにできることと言えば、 ひどい雪が降らないことを祈るばかりというやりきれない冬を過ごした。 もはや手も足も出ない。 そしてそれは仕方ない。 飢えや戦乱溢れる世界は、ろくに歩いたこともない人間が 生きていくにはあまりに厳しい。 「もうすぐ冬も終わる…無事でいてね」 どうか、どうか――私も耐えてみせるから。 父の言う通りで、私自身動いた所で人員が無駄に割かれるだけで利益はない。 だからこそこうして守られるのが運命なのだと納得させてきた。 「空を生きる術もないのに、飛び立つなんてできないでしょう」 受け入れればたやすい真実だ。 それでもやはり、一度知ってしまった世界を忘れるには時間が必要で、 窓の側でため息をつく日が続いていた。 「・・・余計なことしてくれたわ」 八つ当たりと思いながらも、 籠におさまりきらない気持ちは口をついて出てしまう。 結果的にあの忍がきて、囚われる辛さは以前より増した。 何故籠が存在するのか、守られねばならぬのか、 理解してみずから選んだからこそ、もう逃げ道も解放もない。 ――かごめ、かごめ・・・ いつものように口ずさむ。 せめて景色だけでもと窓に張り付いているうちに、 いつの間にか癖になっていたのかもしれない。 無意味な問いを歌にのせても、答える人はいなかった――あのとき以外は。 籠女、籠女 籠の中の鳥は 何時いつ出やる? 夜明けの晩に どこかで聞いたわらべうたは、自分の無意味な問いを代弁している気がする。 鶴と亀が滑った 後ろの正面・・・ ――ガタン!! ――っ!? なかば自棄になって口ずさんでいると、不躾な音に遮られる。 「だ、誰!?」 とっさに振り向いた視線の先、暗がりに佇む人影がひとつ。 顔は定かではないが、ここに入ってこられるということは、 安心できるか相当危険かのどちらかである。 今は、後者の可能性が限りなく高い。 「侵入者ならお帰りなさい、ここには私しかいないわ」 「お前に用があるからそうはいかない」 「それ以上近づくと人を呼ぶわよ」 「そうか・・・それは困った。捕まりたくはないんだが・・・」 「は?」 「今日はオトリがいないから、できればやめて欲しい」 緊迫した空気を一気に緩ませるような、侵入者にしては率直過ぎるお願い。 思わず肩の力が抜ける。 「あんた、侵入しておいてそれはない・・・ん?」 ――この声、どこかで。 はっ、と気付いたのと同時、 一歩踏み出し月明りに突如浮かんだのは年若い人間。 闇に溶ける黒い髪、精悍な双眸、それなりに通った鼻筋。 大きくはないが、身軽そうな体躯。 合わせて装束…は、なぜかうちの兵卒(バイト用)だ。 でも忘れはしない、息の詰まるような閉ざされたこの部屋に 風穴をあけて去っていった――あの忍。 「まったく、座敷牢かここは」 「なんであんたが・・・!」 「夜分に失礼。まあ職業柄それは仕方ないんだが」 「一度ならず二度までも、いったいなんの・・・」 「そう警戒するな。お前に用があるのは事実だが、  オレは前回も今回もこちらの依頼を受けただけだ」 言って差し出された手のひらには、見慣れた小動物が一匹。 「――!」 暗がりでもわかる、やわらかい毛並みと愛らしい双鉾。 「菊千代…どうして?」 「外に出たはいいが、ひとり残されたお前が気掛かりだった。  顔を見せようとも思ったが、何故だかお前は相変わらず籠の鳥を続けているし、  傍から見てもずいぶんと寂しそうで、ひとたび戻ればまた同じように閉じ込められるかもしれない。  そんなわけで帰るに帰れなかったそうだ。  だから家臣に見つからぬよう」 「――私がまた閉じ込めたりしないよう、  内密に連れてきてもらったというわけね」 「ご明察」 怖かった、寂しかった、一人は嫌だった。 それを失う恐れと残される痛み。 嫌がるのをわかって無理矢理檻に押し込めたのは他でもない自分だ。 この忍に解放されて以来一度も姿を見せてくれなかったから、 すっかり嫌われたものと思っていた。 「菊千代は、外にいても、自由になっても私を心配してくれたのね。なのに」 寂しくて閉じ込めた。 辛くて閉じ込めた。 でもそれは全て自分だけのワガママだったのに。 「ならそんな辛気臭い顔してないで、早く菊千代を解放してやれ」 「?・・・」 「お前のことが心配で菊千代は真に自由にはなれない。  お前がそんな顔してる限りそれは続く。  ならお前は嫌々ここにおさまるべきではない」 そしてオレの仕事も終わらない・・・と頭をかいた。 いったいどれが本心なのか。多分最後のだろう。最後のだ。絶対そうだ。 「『お姫様』は捕われの身がお好み、というなら止めないが  その様子ではそうでもないらしいな。不可解な話だ」 正直にいうとかなり無礼なものいいだとは思うが、そこには誤りも建て前もない。 変に同情されるよりいっそ清々しいかもしれない。 「――なら、今、あなたは私を・・・連れ出しに来たの?」 「そんな大層なことをするつもりはないし、できるわけがない。  オレはそんなに強くないからな」 「そうみたいね」 話ているとどうも調子を狂わされる。 忍というのは想像よりずっと地味なのかもしれない。 「なら、どうしろと言うの?あんたが壊した格子もご覧のとおり頑丈になって元通り。  私は・・・私は前よりずっと籠の鳥だわ」 ――もしこの忍がこなければ。 押さえていたはずの気持ちが溢れ出す。 ――この忍がこなければ、格子が壊れることも、空の広さも知ることはなくて この格子も、外への憧れも、あれ以上強くなったりしなかったのに。 ――あのまま『閉じ込められて』いたなら 空を捨てることも、籠を選ぶこともなかったのに。 仮にも解放しようとしてくれたこの忍を恨むのは間違っている。 だが辛さが増してしまったのは事実だ。 相反する感情が、苦しさだけを倍増させる。 「翼がないから、飛び立てない。    下手にあがいたって見苦しいし、迷惑だわ。  だから籠におさまるしかない。  それはわかっている、でも・・・」 「お姫様というのは、不自由というより融通がきかないものなんだな」 「何よそれ」 別段表情も変えずに言われ、むっとして反論する。 「出たい気持ちはある、だが出て生きていくことはできない。  だから籠を恨み束縛を恨むか」 「恨んでなんかいないわ。身勝手と言いたいのね」 「いや?お前がお姫様に生まれたことに対して責任はない。 もし貧しい村娘に生まれていれば汗だくで働いているだろうし、  皆与えられた役目を果たしているだけだ」 「そうね。だから私は――」 「だが、たとえお前の役目が籠におさまることだとしても、  お前には色々と揃っている。 視界を奪われることがそのまま世界を奪われることにはならない」 くる、とこちらに背を向けて少年は窓と向かい合う。 「籠の鳥は結構だが・・・そんなに翼が欲しいのか?  でも翼は目的にたどり着く手段でしかないだろう。  自由自体を欲しがってもたいした変化は望めないぞ」 「何が言いたいの?」 忍はこんこん、と軽く窓の格子を叩いて呆れたようにつぶやいた。 「いつか手足を使え、と言ったのは文字通り籠を壊せという意味じゃないぞ。  女のお前にそれを期待してどうする。  …というかこれは俺でも無理だな。罪人じゃあるまいし…」 それだけ言うと、喋りすぎたな、と呟いてすたすたと去っていこうとする。 嫌味なのか皮肉なのか本音なのか、 判別つかないところが性質の悪い。 「もう!あんたは、一体何者!?」 「菊千代に聞け」 「あんたじゃないんだから、リスと会話できるわけないでしょう」 「じゃあ諦めろ。忍は名も正体も明かさない。常識だろう。」 「――・・・」 忍の常識など知る訳もないが、返す言葉もなく、去っていく背中を見送るしかない。 ここで大声をあげれば見張りが飛んで来て あっという間にお縄にかけてやることもできるが…… さすがにそれはやめておいてあげた。 菊千代を連れてきてくれた借りがあるから。 「ていうか、うちの警備ってどうなってんのかしら」 厳戒態勢じゃないのだろうか。まったく。 いつもなら長くて長くて仕方ない夜も、気がつけば月は天頂まで上り始めていた。
いつもの八割増でお送りしてます。
内気で弱気で根暗でも断固としてヒーローをさせる。
しかし、佐助が長いセリフしゃべってるのってなんかキャラが保てない難しい…。
背景の写真は佐助が猫でいいかなと思ったけどよく考えたら危険(笑)
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