空籠 〜ソラノカゴ・カラノカゴ〜
「忍って・・・迷惑な仕事だわ」 遅めの起床でも、少々寝不足気味の目をこする。 それも全てはあの黒い奴。 昨夜は物音がするたび『そんなに強くない』を自負した忍の大捕物が始まるのではないかと、 落ち着いて眠れやしなかったのだ。 昼間に来いとは言わないが、侵入される側としては真夜中も遠慮してもらいたい。 「ふあ・・・」 窓のへりに腕を乗せていると、春の陽気も手伝って眠気が襲ってくる。 大きなあくびをひとつして、こてんとへりに頭を預ける。 次第にまぶたが重くなり、そのまま目を閉じる。 視覚を封印するとまぶたの裏がじわじわと光る。 やがて、他の感覚が目を覚ましていく。 ――陽射し、暖かい。 ――風、髪をすく。 ――花のにおい、かすかに。 ――鳥、これはウグイス? 聞こえる、感じる命の胎動を。 ――そうか、今は春なのだ―― 閉じたまぶたに情景を描いていく。 背景に空の薄青を敷いて、淡く重ねる芽吹いた緑、黄、そして紅。 響くさえずり、小川のせせらぎ。 風を切り、翼をひるがえす。 温い空気の中を、泳ぎ渡る鳥。 太陽を目指して、上昇していく。 遮るものはない、ただ果てなく空気の層に乗っかって―― 「・・・・・・ん」 ぱち、と視覚が覚醒すると、眩しさと同時に瞳孔がきゅうっと縮む。 そのままむくりと身を起こすと、額で押さえつけていたらしい腕がビリビリとしびれていた。 どうやらあのまま眠り込んでしまったらしい。 「んーっ・・・・・・」 伸びをしながら、焦点の合わない目で部屋を眺める。 「・・・・・・ん?」 やや語尾を上げたのは、部屋の真ん中に見慣れない白い点を見つけたから。 ぱたぱたと近づいてみる。 「――これは鳥の羽、と花びら・・・桜かしら?」 よくわからない組み合わせだと思い手にとった瞬間、 視界の端を素早い何かがかすめた。 振り仰いだ頭上を慌ただしにげに飛び交うのは 手中の羽の落とし主。 「え!?――なんで鳥・・・わ、ちょっと・・・!」 どこから入り込んだのだろうか。 壁にぶつかり方向を変え、またぶつかりちぎれた羽毛が舞う。 まるで水中で溺れ、空気を求めてもがいているかのようで痛い、痛々しい。 「ちょっと・・・やめなさい!」 早く放さなくては。 このままでは、傷付いて飛べなくなってしまう。 こんなところに入ってきた方が悪いのだが、黙ってもいられない。 「暴れないで!!」 爪先立ち、捕まえようと手を伸ばすも届かない。 何かないかと部屋を見渡したものの、 役に立ちそうなものはおろか単なる棒一本もない。 こんなとき、籠の中というのは本当に不自由だと思う。 ホウキの一本や二本置いておくべきだ。まあ自分は掃除しないけど。 ――ガタン 途方に暮れかけたそのとき、何故かふすまが動いた。 確かこの音を、こういうタイミングで聞くのはこれで三度目。 そして音を立てた犯人を見るのもまた―― 「騒がれると面倒だ。捕まるのも困る。つまりおとなしくしてくれ」 昨夜と同じ調子でいわれ、軽い頭痛を覚える。 ――まさか本当にまっ昼間にやってきてくれるとは、忍というのも結構サービス精神旺盛なのだろうか。 頼んだ覚えはこれっぽっちもないけれど。 「夜分――ではないな。失礼する」 昨日の今日で忘れるわけはない、 目の前に現れたのは寝不足の原因を作ってくれたあの忍。 ここまでくるととても忍んでいるとは言えないが。。 「・・・・・・・・・あんたって本当にいったい――」 何がしたいの、と言いかけて思い出す。 今すべきなのは意味のないやりとりではなく、 都合よく現れた助っ人を活用することだ。 「そうだ、そんなことより、この鳥放すの手伝いなさい!  迷い込んでしまったらしくて・・・」 「なんだ、捕まえて飼ってやればいいのに」 「は・・・?」 「ちょうど菊千代の檻が空いているだろう」 「・・・」 「嫌か」 「邪魔するなら帰って」 これは野生の鳥。 大人しく収まるとは思えないし。 空の檻に何かを押し込める気はもうない。 「とにかくこのままだと死んでしまうわ」 「まったくだな」 頷いてなお動こうとしない。 「・・・――もう知らない!」 痺れを切らして背を向ける。 はっきり言って時間の無駄―― ――ピィッ 突如背後から、格子も突き抜けるような鋭い音。 反射的に振り向くと、それがこの忍の発した指笛の音とわかる。 「え?」 音がするやいなや、先程までせわしくもがいていた鳥はすっと旋回し、 おとなしく少年の腕で羽を休める。 「つまりそういうことだ」 「つまりって・・・どういうことよ?」 「鳥が檻でもがけばもがくほど、閉じ込める側は出してやらねばならないと思う。  それが普通だ。なおかつ羽を折りかけるその鳥が愛しいならば、  その姿を見るのは辛い」 ねぎらうように、翼を撫でてやる。 どうやらこの忍、リスだけでなく鳥とも意志疎通ができるらしい。 端正な顔に似合わず随分とかわいらしい能力だな、と思った。 動物好きにはちょっとうらやましい気もする。 「では聞くが、まるで籠の中を気に入っているかのように大人しくおさまる鳥を  お前は放してやろうと思うか?」 「思わないわね」 「それでは、『籠の鳥』が飛び立てないのは何故だろうな」 ――籠の中、守護。 ――檻の中、束縛。 ――手足、翼。 ――いや、それ以前に。 「――羽ばたかない、から」 「さすが、ご明察じゃないか。まあ、それでも鳥は籠の中にいるべきだ  と思うならそれはそれだ」 「・・・・・・」 目を閉じてみて、わかった。 籠の中は想像よりもずっと外の世界に近かった。 ただ認めようとはしなかっただけで。 ――この気持ちが生まれてしまうのが恐かったから。 「いいえ。私も、鳥はやっぱり空を飛ぶものだと思う」 ウグイスの歌を近くで聞きたい。 散る桜を間近で見たい。 さえぎるもののない空の下を、自分の足で歩きたい。 何も今の全てを捨てる必要はない。 降りかかる危険から、身を守る術。 従者や護衛。 足りないものは付け足していけばいい。 たかがそれだけのことを、しようとすらしないで諦めて、 最終的に被害者面で、守られのうのうと生きていく。 なんだか今までの自分がとても愚かに思えた。 「つまり、外に出れば、理由を探すこともできる、と」 「――そうだな。やれやれやっと終わった」 「え?」 「だから菊千代の依頼だと最初に言ったろ・・・  お前が辛気臭い顔をやめるまで解放された気がしないから  どうにかしてやってくれと。  ただしオレはそんなに強くないから名に沿って  せいぜい横から助けるくらいだが」 「・・・名?」 「では、どうせ近いうちに見ることになるだろうが――餞別だ」 「!」 ぽん、と渡されたのは桜一枝。 ただ記憶と違うのは、花びらの一部にある朱の斑点。 よく見ると、それは小さな小さな手の形。 「菊、千代」 「思う以上に外は広い。道標くらいはあっても損はない」 「でも例の忍に襲われた鷹狩って随分前の話なんじゃ」 「たぶんリスはお前より移動できる範囲は狭いと思う」 「そうだけど」 「まあ、その気があったら来ればいい。お前とは話が合いそうだしな」 「そう…えっ?」 本当に、それだけを言うと忽然と消えてしまった。 プライド無く忍びこんでおいて騒がないようお願いされるわ、 自分は強くないと堂々胸を張られるわ、 特殊能力のひとつくらいあるかと思えば動物さんとお話スキル・・・ あまりかっこいいとは言えないかもしれないが。 最後――だけは、やはり忍だったようだ。 「『お姫様』を助けにくるならやっぱり、  ヒーロー……ってやつかしら?」 始終無表情だった少年は去り際だけわずかに笑っていた、ような気がした。 「・・・・・・」 閉じたまぶたに、感じるまぶしさ。 肌を刺す陽。 草いきれ。 汗ばむ背中。 ――もう春は終わる。 あれから、外に出たいと父に言った。 もちろん簡単に考えを変える人ではなくて、 問答無用で部屋に帰されることも多かった。 何度も何度も歯向かってみたが、やはり何も変わらなかった。 ときには諦めようかとも思った。 ――それでも、目を閉じて、耳をかたむけ、感覚を研ぎ澄ますと、いつも外は近かった。 世界はずっと私を招いていた。 羽ばたきを、やめるわけにはいかなかった。 ――ゴッ 私が反抗的になってしばらくすると、部屋から終始鈍い音が響くようになった。 不審に思った側近は、部屋をうかがいその音源に驚愕した。 「いっ・・・痛」 「何をされているんですか姫!お止めください!」 怪音の正体は、か細い腕が繰り出す正拳突き。 正直痛い。 何度も繰り返すうちにすっかり赤く腫れてしまった拳をみとめて側近は悲鳴をあげる。 「素手で格子を殴るなど、御手に怪我をされます!  というかすでにされているではないですか!」 「構わないわ。どんなに厳重な警備だって、忍が本気になれば破るのは簡単よ」 ――実際厳重にしたあとも最低三回は入ってきた、 という事実は兵の首を守るために言わないでおく。 「だったら侵入者が来ても、戦えるように私が強くなるほうがよっぽど安全。  これくらい壊せなくてどうするの!!――・・・痛っ」 「ああ、おやめください、私どもがお叱りを受けます!」 「絶対イヤよ」 いくらなんでも素手で壊せるとは思ってないが、ほかにやりようがないから仕方ない。 毎日毎日こんなことを繰り返すはめになったものたちの嘆きは、 とうとう父の耳にも届き、なぎなたの稽古を再開するということで決着した。 ひとつ要求が通ればしめたもので、庭を歩きたいだの、 花を見たいだのといったわがままも聞き入れられるようになった。 いつのまにか、私には外も内も楽しむ余裕ができていた。 「――まったく、お前というやつは誰に似たんだか」 白魚のようだった肌を日に焼いて刃物を振り回す娘に、ため息交じりに呟く城主。 そういいながらも、どこか清々しい顔をしていると感じるのはきっと勘違いではない。 たやすくさらわれそうだった以前のか弱い姫よりは今のほうが健康的でもある。 「頑固なところは、父様似かもしれませんね」 にこりと笑って、乱れた髪を結い上げ直す。 あらわになった首筋を、温い風がくすぐっていく。 「外に出たときに備えているんです」 「そこまでして・・・何か目的があるのか?」 「はい、探したいんです」 ――何を、とは言わないでおく。 それを言ったらきっと卒倒してしまうに違いないから。 「・・・無茶はするなよ。もし見つけたとしてもお前がいなくなれば本末転倒。  くれぐれもあの格子を破った忍に捕まったりしないように」 それだけ言うと、父は家臣を引き連れその場を去る。 仮にも城主だ、やることは多いのだろう。 「捕まるな、ですか。……それはちょっと無理な相談です」 父の姿が見えなくなるのを確かめて小さく呟く。 「――・・・もう捕まってしまいましたから」 たった数回言葉を交わしただけだけれど、 あの忍は悪びれもせず私の心に居座り続けた。 思考の読めない無表情で、時にちょっとだけ笑って。 第一、この広い日本の山中からリス一匹捜せと言うのが土台無理な話なのだ。 だから、あの忍を見つけたら、菊千代にも会える気がする。 そう、だから私は会いに行かなくちゃいけないのだ、あのよく分からない少年に―― セコくて、決して強くなくて、不躾で、逃げ腰で。 ヒーローとはとても言えない人。 「そのうえ、依頼は果たせてないし!!」 きっと今の自分は、あの忍の言う『辛気臭い顔』をしているに違いない。 「『お姫様』はいつの世だって健気なんだから・・・    名前もわからない忍にだって焦がれたりするのよ!!!」 明かさないのが常識なら中途半端に名乗ってんじゃないわよ! 名に沿って助けたってどういう意味!無駄だって分かってるのに色々推理しちゃうじゃない! ていうか侵入したんじゃなくてあの格好、あの時うちの正式なアルバイトだったんじゃないの! ちゃっかり自給もらって帰るなんてどういうヒーローよ!! 最後に笑ったりしなければ… もっとうまくやれ!! ……と一通り八つ当たりをしてぜえぜえと上がった息を整える。 ほうともう一つ息を吐き、また目を閉じる。 たかがリスのために危険を冒して忍び込んで。 わざわざ桜を手折って持ってきて。 厳しい言葉を投げ掛けて。 ――うつむいた私の顔をあげさせるためだけに。 目を開いた先には、日に日に色を濃くしていく空の青。 次にあの花の咲く季節、それまでにまた会えるだろうかと 途方もないことを考える。 雲間を鳥の影が行く。 風を切り裂いて、自由に泳ぐ姿。 でも――鳥がどんなに高く高く上っても、空は途方もなく広くて大きくて、届かない。 「あ・・・なるほど」 空に焦がれて放たれた鳥は、結局大空を求めて羽ばたき続けるしかない。 結局は、空にも捕われるのが運命なのかもしれない。 「まったく・・・厄介だわ」 名も知らない忍への、焦がれる想いに捕われてしまった、私は籠女。 問いても誰が答えてくれる?この籠の中の鳥は・・・ ――何時いつ出やる?





あとがき
読んでて恥ずかしい人手挙げて!!はい!!書いてるやつが本当は一番恥ずかしいです!
なんというかもはやオリキャラな籠女姫とルパン佐助。
「やつはあなたを捕えました・・・恋という名の檻に」
というカリ○ストロ風なセリフがぽんと浮かんで書き上げた恐ろしいブツ。
ぶっちゃけ一年前に書き上げてたんですが、出し損ねてこんなことに。
従って目も当てられない感じですがまあ若気の至りということで。
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