さて、いったん舞台は移って、ここは職員室前の廊下。
並んでいるのは一風変わった二つの人影。
「じゃあ子羊、私は先に帰ってマス。」
「Yes.」
「3年の教室は3階ですよ、大丈夫でスネ?」
「Yes.」
「ニホンでは沈黙は金、かもしれませんが、弁なくして愛は生まれまセン!まずはフレンドリーに笑顔で接するのですヨ!?」
「Yes.」
「あと、できるだけ日本語を使うよウニ。」
「……ハイ。」
「目がちっとも笑ってないでスガ。」
「……。」
「――やれやれ。そろそろ時間デスネ。頑張って行ってきなサイ。」
言われてくるりと背を向けたのは、結構小柄な少年。大きめの学ランの袖をわずらわしそうにもてあましている。だが、用意されたそれはきちんと彼の年齢の平均身長に見合うもので、それが彼にとって「大きい」ということはつまり――まあ平たく言うなら彼は転入初っぱなから自分の身長が周囲よりも低いという事実を突き付けられた訳で、ものすごく憮然とした表情になるのも仕方ない。もちろんもっと小さめのものを用意してもらえばいいのだが、売られたケンカ(?)は買うのが道理。本人曰く「成長期はこれから」だそうで、そのうちこの長い裾も寸足らずになる、予定である。問題は彼が卒業までの一年以内にそれを実現させられるかどうか、という所にあるのだが。
さらに言えば、冒頭の会話からすでにお分かりのように彼は日本人ではなく、日本大好きな里親に連れられて(半ば強制的に)日本の学校に転入させられたポルトガルかどこかの国籍を持つ西洋人なのである。三年生にいきなりの編入、それもかなり急な申し出だったにも関わらず、細かいことは気にしないでこの15歳の少年はこの春から普通の転校生として扱ってもらえることになっているらしい。誰も頼んじゃいないのに、と本人はいたって不服そうではあるが、最終的に承諾したのは自分なので今更文句を言っても仕方ない。こうなったら里親が盲目的に好んで語ってきたものを自分が客観的に見定め、少しは頭を冷やしてもらおう、と半ば苦行に励む僧のような心持ちでここまで嫌々足を運んだ次第。まあ、彼の里親は立派なカトリックの神父であるし、修行というのもあながち間違いではないのだが。
ペタペタペタ、と古びたリノリウムの階段が出す間抜けな音とともに、目立つ金の髪をなびかせて、3階のあてがわれたクラスを目指して歩を進める、が。
(何組なのか聞いてくるの忘レタ……)
最上階まで昇りきったところで気づいてしまった。また下まで降りるのは面倒だ。それに、職員室では嫌そうな顔で応対しまくった上、話しかけられても一人で大丈夫だと言い切った手前、今更聞くのはかなり癪だ。仕方ないので、ざわつく廊下をかき分けながら端から順に掲示を見て回ることにする。
(Leo,Leo,Leo……あれ、ここも違う?)
1組、ない。2組、ない。3組……おかしい。自分の名前が、見つからない。
全部見て回ったはずなのだが、やはりどこにもLの字は見当たらない。日本語の「れ」も同じく見当たらない。というか、想像以上に読める字が少ない。日本語は得意なつもりだったのだが、これは困った。もしかすると自分は別枠で入学したから書いていないのかもしれない。しかし、なんだか「お前の席ねーから!」的なことを言われているような気がして、ただでさえささくれ立っていた心がどんどん不機嫌になっていく。この制服といい、何かのいやがらせだろうか。
本当になんでこんな所に来てしまったんだろう。
神父はどうしてわざわざ私を日本へ連れてきたりしたのだろう?
やっぱり、ついてくるべきじゃなかった。
意味が分からない。帰りたい。帰りたい。
本当にこのまま帰ってしまおうか――!
いったん思考が負のスパイラルに陥ってしまうと、もう何もかもが悪意にしか思えなくなってくる。さっきから物珍しそうな顔でこちらを眺める周囲の視線が、途端に敵意や嘲笑を含んでいるように見える。自分が近づくと、そこだけ喧騒がしん…と静まり、注目される。ハローだのなんだのと話しかけられても、笑顔なんて出るはずもない。喋ろうにも、ノドがカラカラと乾いてうまく声が出ないのだ。神父の言いつけなどひとつも守れやしない。
結局あきらめて、少年は廊下の片隅で一人、所在なさげに立ち尽くしていた。
謎の転校生レオ登場。すごく気にしている身長151センチ。
しっかりしているようでどこか抜けている。