佐助side

「――…。」
呼ぶ声がして、目が覚めた。
おかしいな、今日はまだ寝ていていいはずだ、と少年はぼんやりした頭で考える。まだ眠い。すごく眠い。閉じた瞼に感じる朝日も、少年が眠りについてまだ数刻しか経っていないと言ってくれているではないか。せめてあと少し、とそのまま身体を反転させて布団を頭からひっかける。ふわふわとした気分で、また夢の扉を開きかけた瞬間、今度ははっきりとした声で名を呼ばれた。
「佐助、忍務だ、起きなさい」
「――!」
その声の主に気づいたとたん、少年は乱暴に現実世界へと引き戻された。がばりと布団をはぐと、眼の前には穏やかに笑う壮年の男性が一人。
「……おはようございます、お師匠様」
「ほっほっほ、おはよう。」
ぼさぼさになった短い黒髪の少年は居住まいを正し、布団に座する。老人はやはりにこにこと笑っているばかりで、特に責めも咎めもしなかった。
「昨夜も遅かったのに無理に起こして悪かったね、忍務というのは嘘だよ。」
「?」
「ただ、ちょっと頼みごとがある。まずは奥の座敷にいる子を庭まで連れてきておくれ。話が済むまで朝餉でもとってなさい。なに、終わったら今日はいくらでも寝ていていいから。」
そう言ってまたやわらかく笑うと、少年の師匠でありこの里で最も偉い人物――望月出雲守はふすまを閉めて出て行った。

「おししょう…たのみごと……おくのざしき……」
起きぬけのまだ半ばぼうっとした頭で理解できたのは、少年が今日は一日寝不足状態で過ごさなくてはいけない、という悲しい事実だった。
終わったら寝ていいと言われても、里長直々に声をかけに来るほど重要な頼みだ。そんな大層な仕事、見習いの中で特に抜きんでた能力もない自分ごときが一人で終わらせることなど、毛頭できるわけがない。断言できる。
……などと謙虚なのか自虐なのかひどく自信なさげな思考を働かせる。
(お師匠様も人が悪い)
どうせならもっと優秀な人に頼んでくれれば間違いもないだろうに、なぜ自分なんぞの所にわざわざ足を運ぶのだろうか。我が師匠ながらよく分らない……と、あくび交じりの大きなため息をついて、少年はよいしょ、と立ち上がった。








顔を洗ってもいまいち上がらないテンションのまま示された奥の座敷に向かうと、ふすまの向こうに人が動く気配がする。忍のものではない。ごく一般人の、それも子どもだ。こちらに気づいている風でもなく、どうやら着替えの最中らしい。
(もしや昨日の……?)
昨日里に珍しい来客があったことは知っている。遠目からでも目立っていた、巫女服姿の妙齢の女性、望月千代女。そしてその側にいた、付き人と思しき女の子。予想が正しければ、それは。
「おい……出雲守様がお呼びだ」
名前も知らないし、なんと声をかけたものか。とりあえず自分の存在に気づいてもらおうとひと声かけてふすまを開けると、姿をあらわしたのはやはり、少年とたいして年齢の変わらない少女だった。
「まだかかるか?」
「もうすぐ」
暗がりで背を向けているからよく見ないが、歯切れよく答えたのは想像よりも芯の通った声。そのまま結びかけの帯をしめ、髪を頭のてっぺんでひとつにまとめて器用に結うと、くるっと少年の方に向きなおる。
「よし!」
「!」
はじけんばかりの笑顔がまぶしくて、少年は思わず目をつぶった。
嘘である。大きい声に反射的に顔をしかめただけだ。
「やっぱり忍って朝早いのね!あんたはここの家の子?見習い?それとも雑用とか?名前は?いくつなの?」
まだ眠気をひきずったままの少年とはまるで正反対な、大きく開かれた目とはきはきした声、きびきびした所作。まだ夜も明けて間もないのにずいぶん元気なことだ。
「ああ、うん、まあ俺はいいから、とにかくこっちだ……」
「……」
打ってかわって、やる気もハツラツさのカケラもない対応。温度差を感じたのか、非難するように少女の眉が一瞬しかめられるが、今の少年にそんなものを気にする余裕はない。元から気にする性格でもない。元気があるのは結構だが、同じテンションで対応する義理もないし、さっさと面倒事を済まさせてもらおう、と言わんばかりにだらだらと少し先を歩く。
「「……。」」
喋る気がないのを察してくれたのか、少女は興味深そうに屋敷内をきょろきょろと見回すだけでそれ以上話しかけてくることはなく、少年はほっと胸をなでおろした。
「――着いた」
「ちょ、急に止まらないでよ」
「あそこにお師匠様がいる」
「……あんたさっきから人の話聞いてる?」
「くれぐれも失礼のないように」
これから師匠に何を頼まれるのか、なんとなく嫌な予感はするが、腹が減っては戦はできぬ。少年はとりあえず用事をひとつこなした自分を労いながら庫裏に朝餉をもらいに向かった。










「――佐助」
朝餉をもぐもぐと咀嚼しながら、ぼんやりと次の頼みごとに思いを馳せていると、思ったよりもすぐ召集の声がした。慌てて残りをかっ込んで箸を置き、声の方へ向かう。
「おや、まだ食事中だったか。すまないね」
「いえ」
「さて、と。もう分かっているとは思うが、頼みというのはあの子の世話だ」
「……はい」
若干離れた所に腰かけているのは、さっき少年が案内をしてやった少女である。一輪の赤い牡丹をくるくると嬉しそうにもてあそんでいる。
「望月家の遠縁にあたる千代女殿と、甲斐巫女養成訓練所のことは知っているね?そこから預かった子だよ。ぼたん、という。」
「昨日、門の所で」
「ああ、見ておったのか」
「ちょうど出かけるところだったので」

迫る夕暮れの中、なんとなしに後ろを振り返った時だった。
視線の延長線上に、巫女服をまとった一人の少女がいた。
見慣れぬ衣装、目を引く容姿、忍里には珍しい子ども。
一方的に目が合ったあの時は、ただ侍女としてついてきた女の子なのだろうと思っていた。
だから、自分が出かけている間に千代女と一緒に帰ってしまうのだろうと。
(まさかここに入門しに来てたとは、思わなかった)
昨夜忍務がなければ、とほんの少しだけ思ったりもしたのだが。
「あれでなかなか見込はあるんだよ」
「でも、どう……」
理由を問いかけて、やめる。
望月千代女と歩き巫女――その組み合わせだけで、少女の身の上は想像できる。
人材の供給源は、大半が戦で家を焼け出されて拾われた孤児と聞く。
しかし、女子ならば巫女にするため千代女が手元に置いておくはずである。わざわざこんな山奥の忍里へ送られるということは、単なる戦災孤児以上に訳ありなのだろう。
なんとなく、さっきの自分とのやりとりで性格は読める。元気というか、お転婆というか。
つまりは、養成所に馴染めず厄介払いされたということだろうか?
どちらにせよ恵まれた身の上でないことは確かである。
忍になるのであれば、もっと幼少期から鍛錬を積んでおかねばならない。この歳から忍里で修行するはめになるとは可哀想に、と、そんなことも考える。
「ふぉっふぉ、難しく考えることはないよ。お前はお前でいつもどおり修行をしていればいい」
「はあ」
「さてと、では。ぼたん!こちらにおいで」
「はい!」
まるで子犬のようにこちらに駆けてくる動作からは、家族を亡くしたり捨てられたりといった類の憂いは微塵も感じられない。少なくとも本人は難しく考えていないようだから、自分が色々悩む必要は確かになさそうだ。
「あ、あんたはさっきの……」
「では佐助、頼んだよ。ぼたん、この子は望月佐助という。この里で修業している。年も近いことだし、色々教えてもらうといい。」
「……はい」
互いに互いを紹介して、出雲守はまた微笑む。
初対面、というわけではないのだが、こうして改めて正面に向き合ったのは初めてだ。
すっと視線が交差する。
大きな目に形の良い眉。
高い位置でひとつにまとめた髪は飾り気こそないが、きちんと手入れされていて、すっきりとした顔立ちは美少女の部類に入るのだろう。
それがなおさら、この少女が巫女修行から放り出された理由をわからなくさせた。
特に印象的なのは瞳。
正確に言うならば、その瞳の奥で燃える強い意志。まるで矢が的を射抜くように、人を惹きつける。
長いまつげに縁取られた瞳が二三回ぱちぱちと瞬き、自分も少女に見られていることに気づいて慌てて目を逸らした。
「よろしく。」
「…よろしく。」
「今日はそうじゃな…佐助も疲れているだろうから、里でも案内してあげなさい。」
面倒を見ろと師匠が言うなら、弟子の佐助はそうする以外に選択肢がない。
しかし、同年代の女の子などろくに話したこともないし、できるならなるべく関わりたくはないのが本音だ。
「疲れてる?」
「ふぉっふぉ。昨日の夜は忍務だったから、まだちゃんと寝てないんじゃよ。」
「……。」
おまけに新人の世話を頼まれて寝付いた所を起こされた、の部分は言うと面倒になりそうなので言わないでおく。
「――では、私はこれで。佐助、くれぐれも頼みましたよ。」
さっぱりやる気が起きないのをないのを見透かされたのか、念を押されてしまった。
仕方ない。やるしかない。と、言っても自分たちが寝起きする座敷までの道すがら、厠や入浴場など屋敷内の施設を最低限指差しつつ確認する程度なのだが。
「へぇー、やっぱり夜に活動するんだ、忍者って。あんたも端くれだったのね。」
少し見直した、と言わんばかりに頷かれるが、そのいかにも上から注がれる目線はあまりいい気分がしない。これが自分より年下の小さい子だったら、もっと喜んで世話しているのに。
「夜更かしは子どもにはきつそうねー」
身長も態度も自分より若干大きいが、聞いたところちょうど同い年らしい。年上じゃないだけまだマシだが、せめて背が自分よりも低ければなぁ…と、小さくて可愛いものが大好きな少年は心の中でため息をもらした。
「あのさあ」
「?なんだ」
「…佐助、でいいわよね?私もぼたんでいいから」
「ああ」
「佐助かー、忍者っぽい名前ね」
「……そうか」
「佐助は、ここの家の子?」
「?」
「だって、今『望月』って言ってたし。ここの偉い人は望月って名前なんでしょ?」
「ああ…まあ」
「ふーん」

「あ、私のこの名前ね、さっきの人からもらったの」
「牡丹?」
「そうよ。
「そうか。」
「だから、私は今ぼたんになったばかりなの!」
「…じゃあ」
「…………もらったのがいい名前で本当よかったわ……。」
前の名前は、と聞きかけた矢先、何故か声のトーンを落としたぼたんに、佐助は内心冷や汗をかいた。前の名前に何かあるのか、それとも嫌なことでも思い出してしまったか。
それもそうだろう。普通に生きていたら名前を捨てる、なんて経験一生しないはずなのだから、家を失ったばかりでは幸せだった頃の名前が恋しくても不思議はない。
(危うく無神経なことを聞く所だった。)
と、佐助が一人反省している横で、何故かサ○エさんファミリーがどうのだの土瓶蒸しがどうのだのネーミングセンスの重要性についてだのと脈絡のないことをぶつぶつ語られている理由はよくわからないが、とりあえずこの少女が何か事情があってここにいることは確かだ。下手に過去を詮索すれば嫌なことを思い出させてしまうかもしれない。それだけならいいが、泣きだされでもしたらたまらない。今後は気をつけることにしよう。
「――ってあんたちゃんと聞いてる?で、私は出雲守って人がまともでよか…」
「出雲守『様』だ。気安く呼ぶな。」
「……なんだ。聞いてるんじゃない。」
「気さくに接してくださるが、我ら見習いにとっては師匠であり主でもある一番偉い方だ。常に最大限の敬意を持て。」
「…分かりました、よ。」
ピシャリと叱ると、雰囲気に気圧されたのか思いのほか素直に従う。そこらへんの分別はあるらしい。
「……確かにさっきの、出雲守様って、すごい優しそうで落ち着いてるけど、一番偉い忍者なんだからすごい強くて頭もいいんでしょうね!」
気を取り直して、といった様子で少女は話をふってくる。
「貫禄っていうの?雰囲気も上品だし…」
それはまったくその通りだと思う。自分の師匠を褒められて悪い気はしないので、そのまま称賛させるだけさせておくことにする。
「ネーミングセンスもいいし!!」
しかし何故またその話なのだろうか。よっぽど気に入ったのだろうか。正直女の子に花の名前というのはごくごく当たり前の発想だし、単に庭に咲いてる季節の花の名を取っただけなのでは……
「……何?」
とも思ったが、せっかく本人がここまで気に入っているのだ。ケチをつけるようなことは言わないでおいた方が得策だろう。
「……。」
「あ、でもぼたんは『牡丹』じゃなくて『ぼたん』なのよ。」
「?」
「だから、由来は牡丹でぼたんなんだけど、私の名前はひらがなで『ぼたん』なの!」
「……?」
「だから、平仮名で『ぼ』『た』『ん』、なんだってば」
「……ほう。」
漢字が嫌いなのだろうか。それともひらがなが異常に好きなのだろうか。どちらにせよ出雲守様のお考えで、本人も大層気に入ってる様子だし、自分が意見することは特に何もない。
「……。」
「あのさあ…」
「?」
「さっきからあんたからまともに発せられた会話文らしいものって、『様』をきちんとつけろって部分だけなんだけど。」
「……そうか?」
「ああ、とかうん、とかばっかりで、何か言ってくるのかと思えば黙るし…もう少しそっちから会話を続けようって意思はないわけ?あんたそんな無口キャラなの?」
何だかしらないが怒った。というか怒られた。
「別に…普段は必要に応じて喋ってるが」
「へえ、つまり今は会話する必要がないってことね?」
「そういう訳では」
「つか、第一印象からして超やる気なさそうっていうのはどうなの!?まあそこは百歩譲って許すわよ!?疲れてるってのも分かるし!」
本当に元気がいいな、と思う。丸一日山中を分け入って慣れない場所に一人放り出された女の子とはとても思えない。というか物言いがきつくてなんだか怖い。
「そりゃあんたにとっていきなりやってきて面倒見ろとか迷惑かもしれないけど!」
ああ、一応分かっていたのか。
「せっかく人が質問しやすそうな話の流れに持っていってるのになんであんた一言『そうですか』で済ませるのよ!あーあ、社交辞令で会話もしてくれないとか、私も嫌われたものね」
怒られているというより責められている。
黙っている必要性の方が高いと判断した、という主張はどうやら通らないらしい。
下手に詮索されたくないだろうと気を遣っていた人の気も知らないで、随分勝手を言ってくれる。やはり第一印象で感じた気性の激しさは勘違いではなかったようだ。
「って、こんだけ言っても何も言い返してこないしさ…普通こんだけ言われたらムカつくでしょうが!あんたそんな弱腰でいいの!?こっちは喧嘩売ってんだからやり返しなさいよ!男のくせに言われっぱなしとか、いじめられっ子体質なワケ?まったくもう…やっと忍里に来られたのに…なんでこんな弱虫と一緒にやらなきゃいけないのよ…」
「……。」
確かに言いたい放題言われっぱなし、で気持ちいいわけはない。しかしそれ以上にこんなことで争う必要性を自分は全く感じないのだから仕方ないではないか。自分の好きなものの話なら別だが、この程度のことを声を荒げて主張したいとも思わない。元からそういう性分なのだから。
「……もういいわ。とっとと部屋戻るから場所教えて。」
「俺の寝床の隣だ。」
「ああそう、じゃ、さっさと行くわよ。」
((苦手だ……))
初対面、向こうもそう思ったことは想像に難くない。
数歩先を歩くぼたんの背中に今後の不安を覚えながら、案内する立場のはずの少年はずるずると後を追ったのだった。






ぼたんside→
沈黙に耐えられず気を遣って喋るぼたんと過去を詮索しないよう気を遣って黙る佐助、という微妙な悪循環。佐助はぼーっとしているようで相手を思い遣っていたり、本当に何も考えていなかったりよく分からない所が魅力だと思います。あと佐助はぼたんを一回目巫女服姿、二回目寝巻、三回目ぼたんになってから…とそのたびによく見てるけど、ぼたんはちゃんと覚えてないし見てないっていうのがどうでもいいこだわり。