「絶対変デス。全く変ではナイ!」
「……はい?」

どっちだよ!
と、今聞いていた全員が心の中で総じてツッコミを入れたことだろう。金髪の少年は急に振り向いたかと思うと、なぜか少々おびえたような顔で、それでもキッと眉をしかめて、最初と同じように私の名前を呼んだ。
「あなたの名前、変じゃないデス!」
どうやら、「ドビンというあなたの名前は変じゃないのに、そんなに呼ばれるのを嫌がるなんて変だ」といった意味のことを言いたかったらしいのだが、それを少女が理解するまでには結構かかった。
「やっぱり納得いきまセン、なんで私があなたに怒られなきゃいけないんデス!?」
怒ったつもりはないのだが。下の名前を呼ぶなとあれほど(態度で)言ったのに、平気で呼んでくるこの少年の口をいったいどうしてくれようか、といった思案を巡らせていただけで。漏れ出す殺気は極力抑えていたはずだし。
だが、口を挟む隙もない。
「あなたの名前は別におかしくナイ。同じ名前があるのに、あなたは他の人までまとめて『変だ』と言うのでスカ!?」
いやいやいや、ちょっと待ってほしい。同じ名前が他にもいるというのは、それは確かに、そうなのだろうけど。彼はひとつ大事なことを分かっていない。
 ここは日本で、この名前から連想されるのは絶対に「土瓶」とか「土瓶蒸し」とか、響きも見た目も、可愛さのかけらもないモノなのだ。「こんぶ」だった姉が、新たに「ぼたん」という花の名前をもらったと聞いて、どれだけうらやましかったことか。
「あなたがおかしいと思わなくても、私と周りがそう感じるのです。あなた一人が普通だと思ったって仕方ありません。」
彼の言いたいことは分かるけど、残念ながらその「変じゃない」という感覚までは分からない。
「私だってあなたの周りの人間でスヨ?」
碧い眼がことさら強く自分を射抜く。ああだから、そうじゃない。何かズレている。問題なのは、この少年一人が肯定してくれたって、仕方ない。気に入らないものは気に入らないと――

「……あれ?」

気に入らない。
笑われるから、そう思ってた。
変な名前、おかしな名前、できるだけ知られたくないものだと。でも、自分自身はどうだったろうか。

もしも自分が、これを普通だと感じる世界、彼と同じ世界に生きていたとしたら。
周囲の人間が、皆、彼のように感じてくれたなら。
彼の「変じゃない」感覚を理解できたとしたら。

私は自分の名前を、ここまで頑なに隠そうとは、しなかったんじゃないだろうか?

「できるだけばらしたくない名前」を少女が隠そうとしている部分がキャラ付として大事なのだ。その「ばらしたくない変な名前」という共通の認識を持たない、彼のような人間ばかりなら、ドビンはただの名前に過ぎない。
それならば、私が私の名前を忌避する理由は奪われてしまう。
「Ms.Dobbin」
証拠に、ホラ。彼の口が発する音は。
「Ms.Dobbin!――ええい、真正面にいながら堂々とシカトとは、本当に失礼な人でスネ!もうこうなったら、嫌でも呼びまくってやりマスヨ!?必要ない時にも無駄に呼んでやりますからネ!?」
「ちょっと待ってください。」
笑われたり、ネタにされたりして然るべき、というか、正直ギャグのためだけに存在する自分の名前――だったのに、彼にかかればその存在意義はまったく意味を成さなくなってしまう。
「さっきの、もう一回。」
「ハイ?シカトするとは失礼ナ……」
「そうじゃなくて。」
――Ms.Dobbin
「私の名前、呼んでください。」
生まれて初めて、かもしれない。こんなこと言ったのは。

「……Ms.Dobbin?」
「はい。」
「これでいいんでスカ?」
「はい。」
「呼ぶなと言ったり呼べと言ッタリ……。」
おかしくないと当たり前に、嫌な気はしない不思議な響き。
彼の舌、彼の唇から紡がれたら、すごくすごく自然に感じてしまう音の連なり。
なんだか耳がくすぐったい。これでは、オチによる、オチのための名前なのに、オチにすらならないではないか。普通すぎて、なんだか笑いがこみあげてくる。
「あ、あなたはよく分からない人でスネ。なんで急に笑うんでスカ。」
なぜか目をそらしてしまった彼に、今日の謝罪も兼ねて一歩踏み出し微笑みながら言う。
「私も、あなたの感覚はよく分からないけれど、あなたのことは嫌いじゃないですわ。」
「……?」
「あなたは呼んでも構いません。あなたに呼ばれたって、全然嫌がらせになりませんもの」
予想外の行動をとるイレギュラーな存在という点ではとても厄介ではあるけれど、この少年、結構気に入った。そばにいても悪い気はしない。
「だからこれからもよろし……」
「フ……つまり、私など取るに足らない矮小な存在ト……」
「は?」
「小さい犬がどう吠えようと意に介さないということデスカ…」
「あの?」
ありったけの好意を込めたつもりだったのに、返ってきたのはなぜか敵意。あれ、おかしいな。大半の男子なら、ここいらで籠絡されてるはずなのに。
「そうですかそうでしょうとも、いいです分かりまシタ!もういいデス。」
ビシィッと失礼にも人を指さして去っていく背中に首をかしげる。これは、訳が分からない、というか、行動がまったく読めない。優しくすれば不機嫌になるし、殺気を放っているにも関わらず話しかけてくるし、笑いかけたら怒ってしまった。本当にどうしてくれよう。つまり、今までの自分の常識では歯が立たない――ということか。

「……面白いじゃありませんか」

キンコンカンコン、とそこでベルが鳴って、少女が苦痛で仕方なかった始まりの日の終わりを告げる。明日から授業だぞ、と担任が時間割を配る中、各々が席につき、はい、では起立、礼……解散、と、頭を上げれば目の前はすでにもぬけの空で面食らう。なんと素早い。もう教室から出たというのか。
新しい教科書をしこたま詰め込みずっしりと重い鞄をぶら下げて、足取り軽く階段を駆け下りてみたものの、目標は見つからずじまいでやっぱりなんだか面白くない。今まで自分が他人に逃げられたり避けられたり嫌われたりすることなんてなかったから、面白くない。非常に面白くない!
(こうなったら、絶対、こちらに引き入れてやりますわ!)

――ドビンさん。

自分の一番嫌だったものを、空気のように当たり前に感じるという人。当たり前に呼ばれる、変だと信じていた名前。
彼の普通が伝染すれば、今までよりかなり学園生活が楽になる。一度「有利」から「不利(むしろ邪魔)」に傾いた少年への針は、また大きく「有利」の方へと戻る。どうにかして、仲良くなってやろうではないか。
だが……自分と違う部分が欲しいのに、違うからこそ近づく術が分からない。
「ドビン」を普通と感じる彼は、いったいどんなものが好きで、どんなものを美しく、どんなものを醜く感じるのだろうか――?

そうして生まれてしまった好奇心。始まりはただの好奇心。
それが、どんな気持ちへ成長してしまうのか、
他人の感情の機微を悟ることに長けている少女であっても、この時はまだ予測できなかった。



――春一番の憂鬱は、やがて愛すべき痛みへと。




やっと終わった!中身も動きもないのにこの長さは一体何だったんだろうか。
名前を肯定される、というのはドビンちゃん的に最大のトキメキインパクトになるだろうなと思ってひたすら書いてみました。
馴れ初め(?)を書いたので、これで堂々レオドビを書いても許される(気がする)
以降、手を尽くすもレオが予想外過ぎてなかなか上手くいかないドタバタ学園ラブコメが始まる(といいな)